名画研究会

「なぜこの絵は名画と呼ばれるのか」を追求しています。youtubeチャンネル「Masterpiece Lab.」も更新中。

【後編】英国風景画家 ターナーを10の視点から解説 〜ロンドンナショナルギャラリー展〜

英国の風景画家ターナーを10の視点から解説する特集の後編です。(①〜⑤について書いた前編ははこちら↓)

meigakenkyukai.hatenablog.com

⑥旅する画家

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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー /ヴェネチアの大運河(1835)/ メトロポリタン美術館

ターナーは生涯にわたってイギリスだけでなくヨーロッパ各地を旅行した「旅する画家」としても知られています。ロイヤルアカデミーでの展覧会が終わるとガイドブックや物語を読みあさり、旅先の地図を調べるなど入念な準備をして旅行に出掛けたようです。特にイタリアのヴェネチアには強く魅了され、複数回訪れています。ナポレオン戦争によりヨーロッパを旅行出来なかった時期はイングランドスコットランドウェールズを旅行しました。そこで自国の美しさを再認識したターナーは、イギリスの風景に強い愛着を持っていたと言われています。またスケッチブックは旅のマストアイテムであり、2万点以上のスケッチが残されています。

⑦ピクチャレスク

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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー /カルタゴを建設するディドー(1815)/ ロンドンナショナルギャラリー

18世期後半に画家ウィリアム・ギルピンが出版した絵入り旅行記「ピクチャレスク・ツアー」に由来する風景の概念のことを指します。ギルピンはピクチャレスクを「山脈や渓谷、平原、海辺などの変化と多様性を持った風景」と定義していました。現在ではより簡潔に「まるで絵のような風景」と解釈する人もいます。またこの概念は時間的な滅びの性質を含んでいたため、ピクチャレスクの概念を持つ作品には、「滅び」を表現するために廃墟などが描かれています。ピクチャレスクの登場により現実世界での理想的風景探しが流行し、ターナーが描いたイギリス独特の風景画芸術の土台が形成されました。

⑧「崇高さ」という概念

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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー / 雪崩で破壊された小屋(1810)/ テートギャラリー

1757年にイギリスの哲学者エドマンド・パークが展開した概念・価値観のことを指します。この「崇高さ」は「とてつもない風景や凄まじい物語への興味、自然及び人知を超える、計り知れない力に対する畏怖、そしてそれを美しいとみなす概念」という意味を持っています。あくまでも個人的解釈でシンプルに意訳すると、「壮大な自然や圧倒的な力の持つ恐れと美しさ」といったところでしょうか。ターナーはこの「崇高さ」を表現するにあたり、様々な自然災害を作品のテーマにしています。まさに自然の持つ力と恐怖です。

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雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道(1844)/ ロンドンナショナルギャラリー

一方で代表作「雨、蒸気、速度〜グレート・ウェスタン鉄道」は、「崇高さ」の概念を自然だけでなく、人工物である機械(機関車)にも適用したことが極めて画期的とされています。

⑨謎のプライベート

ターナーのプライベートは謎に包まれています。1799年にセアラ・ダンビーという女性と交際を始め、その後2人の子供にも恵まれています。この同棲生活は約15年続きましたが、なんと当時この事実を知っている人は誰もいませんでした。その後の1833年以降にはソフィー・ブースという女性との同棲が始まり、その関係はターナーが死ぬまで続きました。しかしこの件についても、18年間世の中に知られていませんでした。ターナー私生活においては徹底的な秘密主義者でした。

⑩代弁者 ジョン・ラスキン

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ジョン・ラスキン

ジョン・ラスキンターナーの芸術の最大の支援者でもあったイギリス人の美術批評家です。展覧会でターナーの絵が酷評された際にはターナーを擁護する文章を発表するなど、ターナー芸術の代弁者として知られています。それ以外にもラスキン保有するターナーの水彩画のコレクションを大学などの教育機関に寄贈しています。また、ターナーの死後には、国に寄贈された大量の作品や資料を整理する仕事にも携わっています。ラスキンなしでは今のターナーの評価はあり得なかったかもしれない、まさに陰の立役者です。

 

今回はターナーを10の視点から解説しました。次回はロンドンナショナルギャラリー展で初来日しているターナーの「ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス」の解説記事を書こうと思います。

 

名画研究会

【前編】英国風景画家 ターナーを10の視点から解説 〜ロンドンナショナルギャラリー展〜

ロンドンナショナルギャラリー展にターナー「ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウスが初来日しています。

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ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス1829年)/ ロンドンナショナルギャラリー

ゴッホレンブラントフェルメールなどと比較すると、日本ではどうしても知名度の劣るターナーについて、10の視点から解説していきます。今回はその前編です。

①英国風景画の巨匠

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自画像(1799)/ テートギャラリー

ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775〜1851)は「風景画に生涯を捧げた」と言われるほど風景画が有名なイギリス人の画家です。自然への賛美や個人の主観や感情に重きを置いたロマン主義」を代表する作家としても知られています。76年間の人生で大量の水彩画、油彩画、版画を残しており、その多くをイギリスのテートギャラリーが、また一部の有名作品をロンドンナショナルギャラリーが所蔵しています。
ターナーの代表作

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雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道(1844)/ ロンドンナショナルギャラリー

「雨、蒸気、速度ーグレート・ウェスタン鉄道」はターナーの晩年期に描かれた大作です。西洋美術史で初めて「スピード」をテーマに描かれた作品で、イギリスのみならずヨーロッパ美術史においても重要な作品とされています。激しい嵐の中で、テムズ川にかかる橋を豪快に渡る蒸気機関車。嵐と共に産業革命の象徴を描くことにより、自然のエネルギーと人為的なエネルギーの拮抗を表現しています。この作品もロンドンナショナルギャラリーが所蔵しています。
印象派に多大なる影響

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クロード・モネ / 印象・日の出(1872)/ マルモッタン美術館

ターナーには直接的な弟子はいませんでしたが、光と色彩を用いた抽象的な描き方は、印象派を代表するクロード・モネカミーユピサロなどに間接的に大きな影響を与えました。モネとピサロの2人は1870年にロンドンを訪れています。その時にロンドンナショナルギャラリーでターナーの作品に触れ、その絵の独自性に大いに感化され、ターナーの表現方法を参考にしたと言われています。
④手本とした画家 クロード・ロラン

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クロード・ロラン / 上陸するシバの女王のいる風景 (1648)/ ロンドンナショナルギャラリー

クロード・ロランはターナーの風景画の手本となったフランス人の画家です。当時はローマで活動しており、自然と人工物を組み合わせた「理想的風景画」の第一人者として知られています。神話的な題材を風景の中に織り込み、理性と感性に訴える作品を多く描いています。これらの作品は17世期のイギリスの美術愛好家に熱狂的に支持されました。彼の作品を見本に作られた庭園ストアヘッドは今でもイギリス最高峰の庭園として知られています。またターナーはこの庭園を何枚もスケッチしており、大きな影響を受けていたことがわかります。ロンドンナショナルギャラリー展ではクロード作の「海港」が初来日しています。
⑤早熟の天才

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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー /ランベス大主教宮殿の風景(1790)/ インディアナポリス美術館

ターナーは14歳で英国ロイヤルアカデミーの美術学校に入学しています。翌年の15歳の時には最初の水彩画《ランベス大主教宮殿の風景》がアカデミーの展示会で入選。21歳で初の個展を開催、26歳で当時最年少でアカデミー正会員になるなど、若い頃からその類稀な才能を開花させていました。正会員になった後、ターナーの作品の販売価格が更に高騰したため、すぐに資産家の仲間入りを果たしました。しかし、ターナー自身の生活はつつましいもので、作品作りに必要な物以外は買わなかったそうです。

 

⑥~⑩については次回に続きます。

名画研究会

【後編】オランダ美術史最大の巨匠レンブラント「34歳の自画像」に迫る ~ロンドンナショナルギャラリー展~

レンブラントが自画像を描く理由

自画像を描く画家は多い。その理由は、自分をモデルにするのが最も手っ取り早いからです。レンブラントも例外ではなく、何の束縛を受けることもなくあらゆる実験を試せる勝手の良さから自画像を制作しました。さらに、レンブラントは「画家の自画像」というテーマが当時のオランダ市民にうけることを知り、生涯で50作以上もの自画像を多作するに至りました。当時これほどまでに自画像を描いた画家はいなかったことから「自画像の画家」と呼ばれました。ゴッホが「生前に残した手紙」により彼の人物像を後世に認知させているのに対し、レンブラントは「自画像」により自身の肉体的・精神的な変容を後世に語り継いでいるように感じます。代表的な自画像4点からレンブラントの人生を体感してみてください。

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(左)23歳の自画像 / (右)34歳の自画像
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(左)46歳の自画像 / (右)59歳の自画像

■「34歳の自画像」はどんな時期の作品か

この作品は、画家として頂点に登り詰め、技術的にもピークと言われる時期に描かれた作品です。

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34歳の自画像(1640)/ ロンドンナショナルギャラリー

名声を確立した作品が、1632年の「テュルプ博士の解剖学講義」です。この作品は、左右対称が定式とされていた構図を捨て、物語画の基本構造を取り入れて描いた斬新な集団肖像画として話題になりました。

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テュルプ博士の解剖学講義(1632)/ マウリッツハイス美術館

そして、レンブラントの代表作として最も有名な「夜警」が描かれたのが1642年です。

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夜警(1642)/ アムステルダム国立美術館

つまり、「34歳の自画像」が描かれたのが1640年なので、この有名な2作品が描かれた10年の間に描かれた”最も輝かしいレンブラントの自画像”と言えるのです。

バロック主義から古典主義への回帰か

画中でレンブラントが身に纏っている衣装は、当時のものではありません。ルネサンス時代の宮廷人が身に纏う高貴な衣であり、レンブラントにとっても100年以上前の”昔の服”ということになります。コスプレイヤーであったという話は有名ですが、この時のコスプレは、ルネサンス期のある巨匠たちの作品を意識していたと言われています。それが、ラファエロの「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」とティッツィアーノの「男の肖像」です。

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(左)バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像 / (右)男の肖像

2人がこれらの作品を制作したのはほぼ同時期でしたが、ティッツィアーノは、ラファエロ肖像画を観たうえで自身の作品を制作したそうです。そして、レンブラントは2人の作品を実際に観ていました。巨匠たちは、いずれもファーストネームで呼ばれ親しまれている画家で、レンブラントもまた2人に続こうと自画像の右下に「Rembrandt 1640」とファーストネームを記しました。

そしてもう一人。「34歳の自画像」を語るうえで欠かせない人物がルーベンスです。”王の画家であり、画家の王”と言われ、レンブラントの生きた時代を席捲した大先輩画家です。イケイケだったレンブラントは怖いもの知らずなのか、ルーベンスに対して並々ならぬライバル心を抱いていました。レンブラントは、ルーベンスラファエロ肖像画を模写をしたことを知っていたのでしょう。ルーベンスの見事な模写がこちらです。 

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「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」の模写(1621)

レンブラントは、このようにルネサンス期の巨匠の作品やルーベンスの影響を受けて「34歳の自画像」を描きあげました。このようなストーリーから、レンブラントはこの作品で古典主義への回帰を試みていたのではないだろうかと想像が膨らみます。しかし、実はその逆でした。

  ■ 「反抗的な画家」の挑戦

 レンブラントは古典主義への回帰を試みた訳ではありません。1400年代以降、競争的創作 ”アエムラティオ” と呼ばれる創作態度がしばしば見られるようになりました。アエムラティオとは、3段階の創作態度の最終段階に位置づけられる芸術用語です。

① translatio(トランスラティオ)⇒ 先行作例を忠実に模写

② imitatio(イミタティオ)⇒ 洗練され効果的な表現を模倣

③ aemulatio(アエムラティオ)⇒ 先行作例を凌ごうとする

レンブラントラファエロやティッツィアーノをアエムラティオの対象としたことは明らかであると言われています。つまり、レンブラントは古典主義への回帰のためではなく、反古典主義な精神を芸術として成立させるために、ルネサンス期の巨匠らの作品を自らの作品に取り入れたのです。

「34歳の自画像」は、反抗的な画家と表現されることのあるレンブラントの野心的な挑戦だったのです。深い精神性を携えた画家の眼差し、力強い造形と姿勢、レンブラントの代名詞であるスポットライトを当てたような光による明暗対比は唯一無二です。古典主義的お手本を、見事に”レンブラント風”に変容させることに成功したと言えます。

 

名画研究会

 

【解説動画】ゴッホの ”ひまわり” が名画と言われる理由を徹底解説!~ロンドンナショナルギャラリー展~

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解説動画youtubeチャンネル「Masterpiece Lab.」始めました


【動画の概要】

ゴッホの ”ひまわり” とはどんな絵?

ゴッホが最も幸せだった時期の絵

・色彩表現の研究題材

■なぜ人々を魅了するのか?

ゴッホの絵だからこその魅力~手紙の役割~

・ほぼ単色だけで描かれた傑作

 

ロンドンナショナルギャラリー展でゴッホの "ひまわり" が初来日しています。「花」をモチーフにした絵画の中では世界で最も有名な作品のひとつです。ただ、この作品を見てこんな風に思ったことはありませんか?

 

ゴッホの「ひまわり」

 

何がそんなにすごいの?

 

この動画はその疑問を解消するために作りました。是非最後までご覧ください。

 

※ブログの内容の動画版です


ゴッホの ”ひまわり” が名画と言われる理由を徹底解説!

 

名画研究会

 

 

観ないと損するBEST5!ロンドンナショナルギャラリー展レポート・感想~実物が素晴らしかった絵画ランキング~

■整理券システムのおかげで快適

コロナの影響で延期となっていたロンドンナショナルギャラリー展に行ってきました。朝10時に国立西洋美術館に到着、13時半入館の整理券を入手。整理券システムのおかげで館内は空いていて、とても快適に鑑賞できました。整理券システムではなかった東京都美術館の「ムンク展」なんてなかなか悲惨でしたからね。

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2020年6月21日 国立西洋美術館 ロンドンナショナルギャラリー展

全61作品、多すぎず、少なすぎずちょうどよいボリューム感でした。作品は時系列で展示されており、時代や画風の変遷を感じながら館内に点在する目玉作品を楽しむことができました。と言っても、僕は観たい作品から先に観て回ってしまいますが…

■実物が素晴らしかった絵画 BEST 5!

今回来日している作品の中で、予想以上に実物が素晴らしかった5作品をランキング形式で紹介したいと思います。今回のランキングは完全に個人的な意見となります。「いやいや、それはないでしょう〜」「あの名画が入っていないけど視力大丈夫?」などはご勘弁ください。。それではいきましょう!

第5位:セザンヌプロヴァンスの丘」

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ポール・セザンヌ / プロヴァンスの丘(1890-92)

 ひまわりはどこだろう・・と速足で印象派のゾーンを通り過ぎようとしたその時、ふと目に留まったのがこの絵でした。個性的な配色とバランスの良い構図がとても美しい。印象派の代表画家の一人として有名なセザンヌですが、本作は、印象派から距離を置き、自然を幾何学的に抽象化しつつ画面を構成することを試みた作品のようです。地層や岩の研究にも打ち込んでいたそうで、セザンヌのこだわりが感じられますね。

第4位:ターナー 「ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス

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ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー / ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス(1829)

画面の大きさに圧倒されました。あまり前情報を持たずに実物と対峙したのでなおさらでした。夢の中の世界のようにふんわりまろやかな光に包まれた地上、そしてそれとは対照的に深さを感じさせるリアルな海。フランス印象派のさきがけとなる作品と言われている作品です。今後、深く掘り下げてみたい画家ですね。。 

第3位:クリヴェッリ「聖エミディウスを伴う受胎告知」

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カルロ・クリヴェッリ / 聖エミディウスを伴う受胎告知(1486)

この絵こそ実物の大きさ(207×146cm)で観てほしい作品です。とにかく細かい。線描と正確な遠近法を駆使して描かれているうえ、建物や人物の装飾など、細部まで変態的ともいえる精巧さで描かれています。天から降りてくる金色の光線が徐々に細くなっていく演出なども見事です。手前の果物も画面から落ちてきそうなほどリアルでした。この絵の中には複数の人物が描かれていますが、それぞれを切り取って、独立した一枚の作品として観たいくらい、尋常ではない完成度でした。これが今から500年以上前の作品ですよ・・・とてつもない衝撃を受けたので、3位とさせていただきました。

第2位:レンブラント「34歳の自画像」

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レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン / 34歳の自画像(1640)

ほかの作品とは、明らかなオーラの違いを感じました。優しい光に照らされたレンブラントは自然な表情でこちらを向いています。歴史に残る画家に名を連ねようと添えられた画面右下のサインは「Rembrandt 1640」とファーストネームでした。(ラファエロなどの巨匠がファーストネームで呼ばれていることに憧れがあったと言われています)かっこいいっすね。ついに実物を見てしまった。。。

第1位:ゴッホ「ひまわり」

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ヴィンセント・ファン・ゴッホ / ひまわり(1888)

1位はゴッホの「ひまわり」です。今回の目玉作品として、最後の部屋にはこの一枚だけが展示されていました。絵が目に入った瞬間に感じたのはその眩しさです。この黄色の絵の持つ強烈なまでの明るさは、画集などの印刷物からは伝わらないと思います。光を集め、自ら輝いているかのようでした。そして恐る恐る近づいてみます。近くで見て驚かされたのはその立体感です。薄塗りで平面的な花瓶が最も奥にあり、厚塗りの花が手前にある。その花たちもそれぞれが異なる奥行き、異なる層に存在している。そのため花が浮かび上がっているかのような立体感を感じました。またこの絵の背景にあるストーリーを知っているだけに、余計に胸に響くものがありました。

 

いかがでしたでしょうか。結果的にかなり王道なランキングになりましたが、これから観に行かれる方の参考になれば幸いです。是非皆さんの感想も聞かせてくださいね。

 

【前編】まさに別格 オランダ美術史最大の巨匠レンブラント「34歳の自画像」に迫る

■「34歳の自画像」日本初公開

コロナの影響で延期となっていたロンドンナショナルギャラリー展が遂に今日から始まりました。ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵するマスターピースが多数初来日していますが、その中でもゴッホのひまわり」やフェルメールの「ヴァージナルの前に座る女」と並ぶ、もしくはそれ以上の傑作と言われる作品があります。それがレンブラントの「34歳の自画像」です。

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レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 34歳の自画像(1640)/ ロンドンナショナルギャラリー

なぜこの絵がそこまでの傑作と呼ばれるのでしょうか。その疑問を解決すべく、2~3回に分けてレンブラントの「34歳の自画像」を徹底解明したいと思います。今回はレンブラントの異名と、その時代背景について書きます。

■異名①「光と影の魔術師」 

レンブラント(本名:レンブラント・ハルメスゾーン・ファン・レイン)は1606年にオランダの西部都市レイデンで生まれました。日本が江戸時代の頃です。15歳の頃に名門レイデン大学に入学するも画家を志し中退、レイデンで絵画を学んだ後、アムステルダムで当時イタリアから帰ったばかりの著名な画家ラストマンに半年間師事します。これがターニングポイントとなります。ラストマンはイタリア滞在中にバロック美術の最重要人物の一人、カラヴァッジョ(1573~1610)から絵画を学んでいました。ラストマンや、カラヴァッジョに影響を受けた画家の作品を通じてカラヴァッジョの明暗法を間接的に学んだレンブラントは、その明暗対比を生かしたドラマティックな表現方法に多大な影響を受けます。

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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 聖マタイの召命(1599~1602頃) / コンタレッリ礼拝堂 / 明暗法を活かしたドラマティックな演出がされている

その後アムステルダムに移り住んだレンブラントは、生涯をかけて光と影の表現方法を追及します。そしてその明暗表現は、レンブラントにしか到達できない唯一無二の境地に達することになります。そのためレンブラント「光と影の魔術師」と呼ばれているのです。

■異名②「自画像の画家」

レンブラントにはもうひとつの異名があります。それが「自画像の画家」です。詳細な説明については次回詳しく説明するので今回は省略しますが、レンブラントは絵を書き始めた当初からこの世を去る直前まで、合計50枚以上の自画像を描きました。レンブラントが登場するまでの美術史において、完成度の高い自画像をレンブラントほど多数制作した画家は存在しませんでした。そのため「自画像」を美術のひとつのジャンルにまで引き上げた人物とも言われています。そして今回初来日する「34歳の自画像」は、数ある自画像の中でも傑作と言われている1枚です。

■時代はバロック全盛期

バロック美術とは16世紀にイタリアから始まり、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ中に広まった美術様式のことです。17世紀の美術全体を指すことも多いため、レンブラントはまさにバロックの全盛期に活躍した代表的画家と言えます。一般的なバロック絵画の特徴としては、躍動感にあふれたダイナミックな表現ハッキリとした明暗対比などが挙げられます。特に明暗対比についてはカラヴァッジョの影響が大きいのですが、レンブラントはカラヴァッジョの影響から抜け出し、深い精神性を演出する独自の明暗表現を確立しています。

同時期の巨匠たちの作品と比較してみたいと思います。

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ピーテル・パウルルーベンス マリー・ド・メディシスマルセイユ上陸(1622~1655)/ ルーヴル美術館

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 大工の聖ヨセフ(1640頃)/ ルーヴル美術館

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ディエゴ・ベラスケス ラス・メニーナス(1656)/ プラド美術館

オランダのレンブラント、イタリアのカラヴァッジョときたので、南ネーデルランド(現ベルギー)からルーベンス(1577~1640) 、フランスからラ・トゥール(1593~1652)、スペインからベラスケス(1599~1660)を選びました。どれも現代において傑作とされる作品ですが、レンブラントの作品には淡い光の演出により深い精神性が表現されており、見る側を瞑想に引き込むような独特の雰囲気があります。

■17世紀のオランダ絵画

この時代はオランダ絵画の歴史においても、非常に重要な位置付けとされています。当時のオランダでは世界初の市民国家が誕生し、盛んな海外貿易により裕福な一般市民が増加した時期でした。また影響力を強めていたプロテスタント偶像崇拝を禁じていたこともあり、絵画の購買層が、宮廷や教会から一般市民に移ります。つまり、城や教会に飾るためではなく、市民団体の施設や一般市民の屋敷に飾るための絵の需要が増加します。これにより、それまで絵画の中では身分が低いとされていた「風俗画」「風景画」「静物画」が独自の発展を遂げます。それぞれの代表作を見てみると、この時代の絵画の多様性が分かると思います。

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ヨハネス・フェルメール 牛乳を注ぐ女(1658~60年頃)/ アムステルダム国立美術館

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メインデルト・ホッペマ ミッデルハルニスの並木道(1689)/ ロンドンナショナルギャラリー

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ウィレム・クラース・ヘダ ブラックベリーパイの朝食(1631)/ ドレスデン美術館

レンブラントが生きた時代はバロック美術の全盛期であり、オランダ美術史においては新たな絵画の需要が生まれた時期でした。そしてレンブラントはこの時代を数多くの「自画像」とともに駆け抜けます。

 

次回はレンブラントの「自画像」についてさらに掘り下げていきます。

ついに!!ロンドンナショナルギャラリー展!開幕決定!!

ロンドンナショナルギャラリー展の新しい日程がようやく決まりましたね!

artexhibition.jp

ロンドンナショナルギャラリーは1824年に、銀行家のアンガースタイン氏が持っていたコレクションを国が買い取って始まったと言われています。その後も実業家や一般のコレクターからの寄贈を基にコレクションを充実させており、王族のコレクションがベースとなっている他の美術館とは一線を画した歴史を持っています。イギリスの国民的画家ターナーが約1万9000点にも及ぶ作品を遺贈したのも有名な話です。ダヴィンチ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、ベラスケス、レンブラントフェルメールターナーゴッホなど、世界的画家の作品を多く所蔵しています。

         

ようやく日程が決まったということで、テンションをさらに上げるためにロンドンナショナルギャラリーを題材にした映画、「ナショナルギャラリー 英国の至宝(2015)」を観てみました。いわゆる本番に向けての「助走」というやつです。

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最初に言ってしまいますが、この映画は相当な美術好き向けです。ナレーションもさしたる演出もなく単調な映像が約2時間半に渡って延々と流れます。  


『ナショナル・ギャラリー英国の至宝』予告編

あらすじとしては、ロンドンナショナルギャラリーのスタッフが来場者へ絵画解説をするシーンが7割程度、残り3割がスタッフの打ち合わせシーン、来場者が開場を並んで待っているシーンや絵を眺めているシーンです。一見すると最初のスタッフによる絵画解説のシーンが面白そう!と思うかもしれませんが、これが中々厳しい。何の山場もなく10分以上話される場面もあり、思わず「長いな」と独り言が出ました。

 

しかしながら、ロンドンナショナルギャラリーで美術に携わる人の情熱や熱意を感じるシーンもたくさんあります。この映画を見て僕個人として改めて思ったのは、絵画というのは描く側に表現方法の自由があると同時に、見る側である僕らにも解釈の自由があるということです。「ゴッホはなぜここで青い線を描いたのか」「ホルバインの歪んだドクロは何を意図しているか」「ターナーはなぜ沈む太陽をこのように赤く描いたのか」。情熱や熱意の根底にあるのは「なぜ?」という単純な疑問・興味・好奇心であり、その答えは各々違って良いわけです。この映画でも「皆さんはどう思いますか?」と来場者に問いかけるシーンが何回かありました。正にそういうことです。(もちろん画家の意図を正確に読み取る必要がある場合も多くあります。ケースバイケースですね)

 

一方で美術館ともいえどビジネス。売上の話、広告の話、コストの話など、企業ではおなじみのトピックをみんなで難しい顔をしながら話し合うシーンもあります。「人員削減、配置転換で人件費を見直します」など、経営再建中の企業の株主総会かと思いましたよ。詳細は省きますが、ナショナルギャラリーの偉い人が話すシーンを見て思ったのは「ロンドンナショナルギャラリーって超保守的だな」ということです。格式を保つためには必要な要素だと思いますが、それにしても堅いなぁと思いました。そして同時に、そんなロンドンナショナルギャラリーから61枚もの作品を借り、世界初の館外での大規模所属作品展を実現したうえ、コロナの影響により会期短縮かと思いきや、まさかの会期の後ろ倒しを実現した国立西洋美術館国立国際美術館などの主催者の方々の努力に感謝します!!拍手!!

 

物語 ★★

配役 -

演出 ★★

映像 ★★★

音楽 ★★

 

映画は微妙でした。