名画研究会

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【前編】まさに別格 オランダ美術史最大の巨匠レンブラント「34歳の自画像」に迫る

■「34歳の自画像」日本初公開

コロナの影響で延期となっていたロンドンナショナルギャラリー展が遂に今日から始まりました。ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵するマスターピースが多数初来日していますが、その中でもゴッホのひまわり」やフェルメールの「ヴァージナルの前に座る女」と並ぶ、もしくはそれ以上の傑作と言われる作品があります。それがレンブラントの「34歳の自画像」です。

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レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 34歳の自画像(1640)/ ロンドンナショナルギャラリー

なぜこの絵がそこまでの傑作と呼ばれるのでしょうか。その疑問を解決すべく、2~3回に分けてレンブラントの「34歳の自画像」を徹底解明したいと思います。今回はレンブラントの異名と、その時代背景について書きます。

■異名①「光と影の魔術師」 

レンブラント(本名:レンブラント・ハルメスゾーン・ファン・レイン)は1606年にオランダの西部都市レイデンで生まれました。日本が江戸時代の頃です。15歳の頃に名門レイデン大学に入学するも画家を志し中退、レイデンで絵画を学んだ後、アムステルダムで当時イタリアから帰ったばかりの著名な画家ラストマンに半年間師事します。これがターニングポイントとなります。ラストマンはイタリア滞在中にバロック美術の最重要人物の一人、カラヴァッジョ(1573~1610)から絵画を学んでいました。ラストマンや、カラヴァッジョに影響を受けた画家の作品を通じてカラヴァッジョの明暗法を間接的に学んだレンブラントは、その明暗対比を生かしたドラマティックな表現方法に多大な影響を受けます。

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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 聖マタイの召命(1599~1602頃) / コンタレッリ礼拝堂 / 明暗法を活かしたドラマティックな演出がされている

その後アムステルダムに移り住んだレンブラントは、生涯をかけて光と影の表現方法を追及します。そしてその明暗表現は、レンブラントにしか到達できない唯一無二の境地に達することになります。そのためレンブラント「光と影の魔術師」と呼ばれているのです。

■異名②「自画像の画家」

レンブラントにはもうひとつの異名があります。それが「自画像の画家」です。詳細な説明については次回詳しく説明するので今回は省略しますが、レンブラントは絵を書き始めた当初からこの世を去る直前まで、合計50枚以上の自画像を描きました。レンブラントが登場するまでの美術史において、完成度の高い自画像をレンブラントほど多数制作した画家は存在しませんでした。そのため「自画像」を美術のひとつのジャンルにまで引き上げた人物とも言われています。そして今回初来日する「34歳の自画像」は、数ある自画像の中でも傑作と言われている1枚です。

■時代はバロック全盛期

バロック美術とは16世紀にイタリアから始まり、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ中に広まった美術様式のことです。17世紀の美術全体を指すことも多いため、レンブラントはまさにバロックの全盛期に活躍した代表的画家と言えます。一般的なバロック絵画の特徴としては、躍動感にあふれたダイナミックな表現ハッキリとした明暗対比などが挙げられます。特に明暗対比についてはカラヴァッジョの影響が大きいのですが、レンブラントはカラヴァッジョの影響から抜け出し、深い精神性を演出する独自の明暗表現を確立しています。

同時期の巨匠たちの作品と比較してみたいと思います。

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ピーテル・パウルルーベンス マリー・ド・メディシスマルセイユ上陸(1622~1655)/ ルーヴル美術館

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 大工の聖ヨセフ(1640頃)/ ルーヴル美術館

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ディエゴ・ベラスケス ラス・メニーナス(1656)/ プラド美術館

オランダのレンブラント、イタリアのカラヴァッジョときたので、南ネーデルランド(現ベルギー)からルーベンス(1577~1640) 、フランスからラ・トゥール(1593~1652)、スペインからベラスケス(1599~1660)を選びました。どれも現代において傑作とされる作品ですが、レンブラントの作品には淡い光の演出により深い精神性が表現されており、見る側を瞑想に引き込むような独特の雰囲気があります。

■17世紀のオランダ絵画

この時代はオランダ絵画の歴史においても、非常に重要な位置付けとされています。当時のオランダでは世界初の市民国家が誕生し、盛んな海外貿易により裕福な一般市民が増加した時期でした。また影響力を強めていたプロテスタント偶像崇拝を禁じていたこともあり、絵画の購買層が、宮廷や教会から一般市民に移ります。つまり、城や教会に飾るためではなく、市民団体の施設や一般市民の屋敷に飾るための絵の需要が増加します。これにより、それまで絵画の中では身分が低いとされていた「風俗画」「風景画」「静物画」が独自の発展を遂げます。それぞれの代表作を見てみると、この時代の絵画の多様性が分かると思います。

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ヨハネス・フェルメール 牛乳を注ぐ女(1658~60年頃)/ アムステルダム国立美術館

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メインデルト・ホッペマ ミッデルハルニスの並木道(1689)/ ロンドンナショナルギャラリー

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ウィレム・クラース・ヘダ ブラックベリーパイの朝食(1631)/ ドレスデン美術館

レンブラントが生きた時代はバロック美術の全盛期であり、オランダ美術史においては新たな絵画の需要が生まれた時期でした。そしてレンブラントはこの時代を数多くの「自画像」とともに駆け抜けます。

 

次回はレンブラントの「自画像」についてさらに掘り下げていきます。