【後編】英国風景画家 ターナーを10の視点から解説 〜ロンドンナショナルギャラリー展〜
英国の風景画家ターナーを10の視点から解説する特集の後編です。(①〜⑤について書いた前編ははこちら↓)
⑥旅する画家
ターナーは生涯にわたってイギリスだけでなくヨーロッパ各地を旅行した「旅する画家」としても知られています。ロイヤルアカデミーでの展覧会が終わるとガイドブックや物語を読みあさり、旅先の地図を調べるなど入念な準備をして旅行に出掛けたようです。特にイタリアのヴェネチアには強く魅了され、複数回訪れています。ナポレオン戦争によりヨーロッパを旅行出来なかった時期はイングランド、スコットランド、ウェールズを旅行しました。そこで自国の美しさを再認識したターナーは、イギリスの風景に強い愛着を持っていたと言われています。またスケッチブックは旅のマストアイテムであり、2万点以上のスケッチが残されています。
⑦ピクチャレスク
18世期後半に画家ウィリアム・ギルピンが出版した絵入り旅行記「ピクチャレスク・ツアー」に由来する風景の概念のことを指します。ギルピンはピクチャレスクを「山脈や渓谷、平原、海辺などの変化と多様性を持った風景」と定義していました。現在ではより簡潔に「まるで絵のような風景」と解釈する人もいます。またこの概念は時間的な滅びの性質を含んでいたため、ピクチャレスクの概念を持つ作品には、「滅び」を表現するために廃墟などが描かれています。ピクチャレスクの登場により現実世界での理想的風景探しが流行し、ターナーが描いたイギリス独特の風景画芸術の土台が形成されました。
⑧「崇高さ」という概念
1757年にイギリスの哲学者エドマンド・パークが展開した概念・価値観のことを指します。この「崇高さ」は「とてつもない風景や凄まじい物語への興味、自然及び人知を超える、計り知れない力に対する畏怖、そしてそれを美しいとみなす概念」という意味を持っています。あくまでも個人的解釈でシンプルに意訳すると、「壮大な自然や圧倒的な力の持つ恐れと美しさ」といったところでしょうか。ターナーはこの「崇高さ」を表現するにあたり、様々な自然災害を作品のテーマにしています。まさに自然の持つ力と恐怖です。
一方で代表作「雨、蒸気、速度〜グレート・ウェスタン鉄道」は、「崇高さ」の概念を自然だけでなく、人工物である機械(機関車)にも適用したことが極めて画期的とされています。
⑨謎のプライベート
ターナーのプライベートは謎に包まれています。1799年にセアラ・ダンビーという女性と交際を始め、その後2人の子供にも恵まれています。この同棲生活は約15年続きましたが、なんと当時この事実を知っている人は誰もいませんでした。その後の1833年以降にはソフィー・ブースという女性との同棲が始まり、その関係はターナーが死ぬまで続きました。しかしこの件についても、18年間世の中に知られていませんでした。ターナーは私生活においては徹底的な秘密主義者でした。
⑩代弁者 ジョン・ラスキン
ジョン・ラスキンはターナーの芸術の最大の支援者でもあったイギリス人の美術批評家です。展覧会でターナーの絵が酷評された際にはターナーを擁護する文章を発表するなど、ターナー芸術の代弁者として知られています。それ以外にもラスキンが保有するターナーの水彩画のコレクションを大学などの教育機関に寄贈しています。また、ターナーの死後には、国に寄贈された大量の作品や資料を整理する仕事にも携わっています。ラスキンなしでは今のターナーの評価はあり得なかったかもしれない、まさに陰の立役者です。
今回はターナーを10の視点から解説しました。次回はロンドンナショナルギャラリー展で初来日しているターナーの「ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス」の解説記事を書こうと思います。
名画研究会