ついに!!ロンドンナショナルギャラリー展!開幕決定!!
ロンドンナショナルギャラリー展の新しい日程がようやく決まりましたね!
ロンドンナショナルギャラリーは1824年に、銀行家のアンガースタイン氏が持っていたコレクションを国が買い取って始まったと言われています。その後も実業家や一般のコレクターからの寄贈を基にコレクションを充実させており、王族のコレクションがベースとなっている他の美術館とは一線を画した歴史を持っています。イギリスの国民的画家ターナーが約1万9000点にも及ぶ作品を遺贈したのも有名な話です。ダヴィンチ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、ベラスケス、レンブラント、フェルメール、ターナー、ゴッホなど、世界的画家の作品を多く所蔵しています。
ようやく日程が決まったということで、テンションをさらに上げるためにロンドンナショナルギャラリーを題材にした映画、「ナショナルギャラリー 英国の至宝(2015)」を観てみました。いわゆる本番に向けての「助走」というやつです。
最初に言ってしまいますが、この映画は相当な美術好き向けです。ナレーションもさしたる演出もなく単調な映像が約2時間半に渡って延々と流れます。
あらすじとしては、ロンドンナショナルギャラリーのスタッフが来場者へ絵画解説をするシーンが7割程度、残り3割がスタッフの打ち合わせシーン、来場者が開場を並んで待っているシーンや絵を眺めているシーンです。一見すると最初のスタッフによる絵画解説のシーンが面白そう!と思うかもしれませんが、これが中々厳しい。何の山場もなく10分以上話される場面もあり、思わず「長いな」と独り言が出ました。
しかしながら、ロンドンナショナルギャラリーで美術に携わる人の情熱や熱意を感じるシーンもたくさんあります。この映画を見て僕個人として改めて思ったのは、絵画というのは描く側に表現方法の自由があると同時に、見る側である僕らにも解釈の自由があるということです。「ゴッホはなぜここで青い線を描いたのか」「ホルバインの歪んだドクロは何を意図しているか」「ターナーはなぜ沈む太陽をこのように赤く描いたのか」。情熱や熱意の根底にあるのは「なぜ?」という単純な疑問・興味・好奇心であり、その答えは各々違って良いわけです。この映画でも「皆さんはどう思いますか?」と来場者に問いかけるシーンが何回かありました。正にそういうことです。(もちろん画家の意図を正確に読み取る必要がある場合も多くあります。ケースバイケースですね)
一方で美術館ともいえどビジネス。売上の話、広告の話、コストの話など、企業ではおなじみのトピックをみんなで難しい顔をしながら話し合うシーンもあります。「人員削減、配置転換で人件費を見直します」など、経営再建中の企業の株主総会かと思いましたよ。詳細は省きますが、ナショナルギャラリーの偉い人が話すシーンを見て思ったのは「ロンドンナショナルギャラリーって超保守的だな」ということです。格式を保つためには必要な要素だと思いますが、それにしても堅いなぁと思いました。そして同時に、そんなロンドンナショナルギャラリーから61枚もの作品を借り、世界初の館外での大規模所属作品展を実現したうえ、コロナの影響により会期短縮かと思いきや、まさかの会期の後ろ倒しを実現した国立西洋美術館、国立国際美術館などの主催者の方々の努力に感謝します!!拍手!!
物語 ★★
配役 -
演出 ★★
映像 ★★★
音楽 ★★
映画は微妙でした。
【映画レビュー】チューリップ•フィーバー 肖像画に秘めた愛(2017)
本作は、フェルメールの絵画の世界観を映像化したことで話題を呼びました。原作はイギリスの作家、デボラ・モガーの小説です。
この映画の見どころは、フェルメール絵画の世界観の背景にあるチューリップ・バブルです。チューリップ・バブルは、”世界最古の経済バブル”と言われ、17世紀のオランダで1634年から1637 年をピークに発生しました。1632年生まれのフェルメールは、幼少期に少なからずその名残を経験していたのではないでしょうか。劇中の人々は、いろんな意味で常識や冷静さを見失っており、男女も吊り橋効果的に禁断の恋に手を染めがち・・いやそんなことはないと思いますが、そんな感じのストーリーでした。
チューリップ・バブルに興味が湧いたので少し調べてみました。当時、チューリップの色や柄は花が咲くまで分からないとされており、チューリップが自らの意思で色を決めていると噂されていました。中でもモザイク柄は貴重で、突然変異的に発生していたのですが、19世紀になってそれがウィルスが原因ということが判明したそうです。このあたり、とても面白いですね。
関心を持たれた方は、下記ご覧ください。
禁断の恋ということで、ストーリーには賛否あると思いますが、映像は美しく、世界観も悪くなかったので、17世紀のオランダ黄金時代にタイムスリップしたいという方はぜひ。
物語 ★★★
配役 ★★★
演出 ★★★
映像 ★★★★
音楽 ★★★
名画研究会
【映画レビュー】真珠の耳飾りの少女(2003)
17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメールの肖像画をモチーフにした小説の映画化。若き日のスカーレット・ヨハンソンが絵のモデルの少女を演じ、フェルメールとのプラトニックでありながら官能的な愛をテーマにストーリーが展開。
いい映画でした。
2003年の作品なので知っている人も多いかもしれませんが、僕は初めて観ました。フェルメールの絵の世界に飛び込んだような静謐な世界感が見事に表現されていました。
個人的に気に入ったのは絵の具を作るシーン。フェルメールブルーとも言われる「ラピスラズリ」という石を原料とする絵の具が出来るまでの工程が面白い。自然界に存在する色だとは思えないほど鮮明で美しかったです。
ところでフェルメールってイケメンだったのでしょうか。フェルメール役がジョニー・デップにしか見えず(実際はコリン・ファース)、これは想像に反する点でした。ただ、映画としてみる分には美男が演じてる方が絵になりますね、画家だけに。
そうなると気になるのが奥さんですが、こちらはフェルメールの絵に登場する女性に激似でした。あの黄色いファーコート?の持ち主の女性ですね。コートもそうですが、フェルメールの絵のモデルにあらゆる持ち物を使用されて不憫な奥さん・・。映画の中ではモデルへの嫉妬に狂っていました。子だくさんのフェルメール、奥さんと仲良しなのかと思いきや、事情は複雑だったのでしょうか。
話がそれました・・・
「真珠の耳飾りの少女」のモデルの少女は、本作でフェルメール家に仕えるメイドでありながらフェルメールの目に叶う美的センスの持ち主という設定でした。しかし、実際はモデルが存在したかどうかも分かっておらず、謎の多い作品のようです。大きな真珠の耳飾りも当時は非常に高価な代物であり、フェルメール家が所有していたとは考えにくいという見方もあるようです。
謎の多い作品でありながら名画すぎるこの作品。だからこそ現代人のあらゆる想像力を掻き立てるのでしょうね。
物語 ★★★
配役 ★★★★
演出 ★★★★★
映像 ★★★★★
音楽 ★★★
名画研究会
【おまけ】「ヴァージナルの前に座る女」には原作がある?フェルメールが参考にした画家とは ~ロンドンナショナルギャラリー展~
■インスピレーションを与えたと考えられる作品が存在
今回ロンドンナショナルギャラリー展で来日するフェルメールの「ヴァージナルの前に座る女」ですが、この絵には構図などを参考にした、ベースとなる作品があることが知られています。それがヘラルト・ドウ作の「クラヴィコードを弾く婦人」です。
絵の醸し出す雰囲気は異なるものの、鍵盤楽器を弾いている女性が視線をこちらに向けている点や、弦楽器が描かれている点、手前に天井から下がる布が描かれている点など、確かにフェルメールの作品と似ています。
ヘラルト・ドウ(「ヘリット・ダウ」と表記される場合も)はフェルメールよりも19歳年上のオランダ人の画家です。ドウはあのレンブラントの最初の弟子としても有名で、巨匠レンブラントのもとで明暗法や精密な描写を習得しました。そんなドウが「クラヴィコードを弾く女」を描いたのが1665年、そしてフェルメールが「ヴァージナルの前に座る女」を描いたのが1672年なので、フェルメールがドウの作品からインスピレーションを受けたという説があるのも納得です。
■あの人気作もドウの作品を参考にしていた?
実はフェルメールのほかの作品でも、ドウの作品と構図が似ている作品があります。それが2018年から2019年にかけて日本で開催された「フェルメール展」の目玉作品でもあった「牛乳を注ぐ女」です。
フェルメールの作品の中でも最も人気の高い作品のひとつですが、実はこちらもドウの作品を参考にしたと言われています。そのドウの作品がこちら。
ドウがこの「料理人」を描いたのが1640年頃、一方フェルメールが「牛乳を注ぐ女」を描いたのが1658~60年頃とされていますので、もしかすると本作を参考に描いたのかもしれません。ただフェルメールの「牛乳を注ぐ女」のほうが遥かに写実的で静謐な雰囲気が感じられますね。
今回はおまけ的な感じで、フェルメールとドウについて書いてみました。そこまで重要な情報ではなかったかもしれませんが、作品の背景として覚えていたら意外と面白いかもしれませんね。
名画研究会
【後編】フェルメール「ヴァージナルの前に座る女」に秘められた意味 ~ロンドンナショナルギャラリー展~
■2種類の楽器が持つ意味
この絵には2種類の楽器が描かれています。ひとつは作品名にも入っているピアノのような鍵盤楽器、ヴァージナル。もうひとつは左下に描かれているチェロのような弦楽器、ヴィオラ・ダ・ガンバです。実はこれらの楽器には男女の「愛」や「恋愛」というテーマが込められています。楽器は愛の女神であるヴィーナスのこどもたちのアイテムであり、古来より男女関係を表す小道具として様々な絵画に登場しています。
■真珠のアクセサリー
フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」でも描かれている真珠。本作ではネックレスとして描かれています。ダイヤモンドが「権威」など男性的な意味合いを持つのに対し、真珠は「女性の純潔さ」を表す象徴として、ルネサンス期のイタリア人画家ティツィアーノの作品にもネックレスとして登場しています。
■画中画の「取り持ち女」
フェルメールは絵の中に絵を描く「画中画」にも意味を込めています。それが右上に描かれている「取り持ち女」です。この絵のオリジナルはオランダの画家ディルク・ファン・バビューレンの作品で、フェルメール家が所持していたものです。フェルメールも同じ題材で絵を描いています。娼婦と客、その間を取り持つ老婆を描いたこの作品は金銭や性愛をめぐる人間の欲望がテーマとなっています。
■意味を知り、その狙いを考える
楽器が男女の「愛」や「恋愛」を、真珠が「女性の純潔さ」という意味を持つ一方で、画中画には「人間の欲望」という意味が込められています。フェルメールはこの絵によって愛や恋愛のすばらしさ、純潔な女性の美しさを表現しつつ、その裏にある人の欲望などを伝えたかったのかもしれません。解釈は人それぞれです。描かれたアイテムの意味を知ったうえで、フェルメールが絵に込めた思いを読み解いてみてください。
名画研究会
【前編】初来日 フェルメール「ヴァージナルの前に座る女」~ロンドンナショナルギャラリー展~
■フェルメールの最晩年作品
謎の多いフェルメールが最晩年に描いたと言われている作品が「ロンドンナショナルギャラリー展」で初来日します。実はこの作品、フェメールが描いた作品ではあるものの「名画」であるかは議論の余地があるようです。ただし、知れば知るほどストーリーがある奥深い作品です。全3回で掘り下げていきたいと思います。
■絵が小さいのには理由がある
フェルメールが描く絵は、小さい作品がほとんどです。理由は、絵を購入する顧客層の変化にあります。時代はオランダ全盛期、「市民国家」が誕生し、市民が主役の時代が訪れます。顧客は貴族から裕福な市民へと移り変わりました。そのため、人々の暮らしに寄り添う風俗画が好まれ、大きな作品よりも小さな作品が多く描かれるようになったのです。
■命を削って描かれた作品
「ヴァージナルの前に座る女」が描かれたのはフェルメールが他界する約3年前です。当時のオランダは、イギリスやフランスからの侵攻を受け、情勢は悪化の一途を辿っていました。絵は売れず、貧困に喘ぐ日々の中で描かれたのがこの作品です。
〈フェルメールを取り巻く時代背景〉
1632 フェルメール生まれる→海外貿易によりオランダが世界経済の中心
1648 スペインからの独立戦争がオランダの勝利で終焉
1652 第一次英蘭戦争
1665 第二次英蘭戦争
1672 ヴァージナルの前に座る女 完成
1675 フェルメール死去
度重なる戦争により経済状況が悪化する中、疲弊した状態で描かれた本作はそれまでの画風に変化をもたらし、簡略化された細部からは画力の衰えを感じるという見方もあるようです。本作の数年前に描かれた、対となる作品「ヴァージナルの前に立つ女」と比較してみます。
袖の描き方が抽象的になり、壁の画中画も簡略化されています。特に額縁の煌めきはほとんどみられません。また、フェルメールが得意とする唯一無二の澄み切った静謐な世界観はほとんど感じられません。若干40歳にして変化してしまった画風の背景には、フェルメールに降りかかった戦争という悲運による苦しみがあったのです。
■時代に翻弄されたフェルメール
オランダ全盛期に生まれ、その凋落を目の当たりにしながら死んでいった画家、それがフェルメールです。そして、最後まで筆を捨てず、独自のスタイルを貫きながら描き続けて誕生したのが「ヴァージナルの前に座る女」です。
名画研究会
ゴッホの「ひまわり」は ”ほぼ単色だけ” で描かれた傑作 ~ロンドンナショナルギャラリー展~
■黄色を基調に描かれている
ロンドンナショナルギャラリー展で来日する「ひまわり」は、全11作品描かれたひまわりシリーズの中でも最高傑作と言われています。その理由は、とても完成度の高い"単色で描かれた絵"だからです。花と背景が同一系統色であるにもかかわらず、メインとなる花の存在感が損なわれていません。それどころか黄色の美しい調和が際立っています。これまで多くの画家が同様の挑戦をしていますが、ゴッホの境地に達した画家は一人もいないと言われているほどです。
ゴッホは、アルルで「ひまわり」を制作する以前から黄色い背景に黄色い果物を描いた作品を手掛けていました。印象派や新印象派が重んじた光学理論や色彩理論を学んでいた時期と重なります。
その頃の作品がこちら。
こうした試行錯誤の末、傑作と呼ばれる「ひまわり」を完成させたのですが、ここで気になるのが”なぜゴッホのひまわりは完成度が高いと評されるのか”ですよね。それは、光学理論や色彩理論を取り入れつつも点描画法といった画法は継承せず、新しい画法を確立させたからです。ゴッホは、筆使いのバリエーションだけで筆の働きを見せ、単調になりがちな単色の絵にメリハリと立体感を与えることに成功しました。
比較してみると、筆致に違いがあることが分かります。右側のひまわりは、するりと筆を滑らせてひらひらと描かれ、一方で左側のひまわりは、ばさばさと大胆な筆使いで平面に浮き上がるように描かれています。
■筆致の変化はゴッホの内面をも表現
ゴッホの「ひまわり」は、内面を強力に表現した絵だと言われています。「ひまわり」を描いた時、ゴッホは希望に満ち溢れていました。その時の感情が力強く勢いのある筆致に表れており、ゴッホの喜びが表現されているのです。比較として、新印象派を代表する画家ジョルジュ・スーラの作品をご覧ください。
スーラは点描画法を用いる代表的な画家ですが、彼の絵はキャンバス上に筆致を残さず、無数の「点」を並べる方法で描かれています。均整のとれたその絵からは、彫刻のような静けさや清廉さを感じさせます。一方で生気やエネルギーは感じ取れず、 燃え上がるようなエネルギッシュなタッチで筆致を残し描かれた「ひまわり」とは対照的だということが分かります。ゴッホにはスーラほどの根気強さがなく、スーラのようなアプローチが出来なかったという説もありますが・・・画家の個性は何が幸いするか分からないもので、ゴッホの絵にはスーラの絵にない魅力があるということです。
全4回にわたりゴッホの「ひまわり」を掘り下げてきました。「ひまわり」が描かれた背景やストーリーを知ることで、実物を目にした時の感動が何倍にも膨らむはずです。私自身ロンドンの「ひまわり」を観るのは初めてなので、対峙した瞬間に何を感じるのかとても楽しみです。
次回は同じくロンドン・ナショナル・ギャラリー展で来日するフェルメールの「ヴァージナルの前に座る女」を取り上げたいと思います。
〈おまけ〉
実は、5作目のひまわりは日本にあります。4作目と5作目、ひまわりのはしごはいかがでしょう。こんな贅沢は日本人にしか許されません。
◆4作目ひまわり(ロンドン・ナショナル・ギャラリー展)
https://artexhibition.jp/london2020/
◆5作目ひまわり(SOMPO美術館)
名画研究会
解説の動画版はこちら↓