【前編】初来日 フェルメール「ヴァージナルの前に座る女」~ロンドンナショナルギャラリー展~
■フェルメールの最晩年作品
謎の多いフェルメールが最晩年に描いたと言われている作品が「ロンドンナショナルギャラリー展」で初来日します。実はこの作品、フェメールが描いた作品ではあるものの「名画」であるかは議論の余地があるようです。ただし、知れば知るほどストーリーがある奥深い作品です。全3回で掘り下げていきたいと思います。
■絵が小さいのには理由がある
フェルメールが描く絵は、小さい作品がほとんどです。理由は、絵を購入する顧客層の変化にあります。時代はオランダ全盛期、「市民国家」が誕生し、市民が主役の時代が訪れます。顧客は貴族から裕福な市民へと移り変わりました。そのため、人々の暮らしに寄り添う風俗画が好まれ、大きな作品よりも小さな作品が多く描かれるようになったのです。
■命を削って描かれた作品
「ヴァージナルの前に座る女」が描かれたのはフェルメールが他界する約3年前です。当時のオランダは、イギリスやフランスからの侵攻を受け、情勢は悪化の一途を辿っていました。絵は売れず、貧困に喘ぐ日々の中で描かれたのがこの作品です。
〈フェルメールを取り巻く時代背景〉
1632 フェルメール生まれる→海外貿易によりオランダが世界経済の中心
1648 スペインからの独立戦争がオランダの勝利で終焉
1652 第一次英蘭戦争
1665 第二次英蘭戦争
1672 ヴァージナルの前に座る女 完成
1675 フェルメール死去
度重なる戦争により経済状況が悪化する中、疲弊した状態で描かれた本作はそれまでの画風に変化をもたらし、簡略化された細部からは画力の衰えを感じるという見方もあるようです。本作の数年前に描かれた、対となる作品「ヴァージナルの前に立つ女」と比較してみます。
袖の描き方が抽象的になり、壁の画中画も簡略化されています。特に額縁の煌めきはほとんどみられません。また、フェルメールが得意とする唯一無二の澄み切った静謐な世界観はほとんど感じられません。若干40歳にして変化してしまった画風の背景には、フェルメールに降りかかった戦争という悲運による苦しみがあったのです。
■時代に翻弄されたフェルメール
オランダ全盛期に生まれ、その凋落を目の当たりにしながら死んでいった画家、それがフェルメールです。そして、最後まで筆を捨てず、独自のスタイルを貫きながら描き続けて誕生したのが「ヴァージナルの前に座る女」です。
名画研究会