ゴッホ「ひまわり」~全11作品も描かれたワケ~ ロンドンナショナルギャラリー展~
■ひまわりは色彩表現の研究題材として描かれた
「ひまわり」が複数枚存在することは有名な話です。
実は、全11作品描かれました。パリ時代に4作品、アルル時代に7作品。
いわゆる“ゴッホのひまわり”は、アルル時代の7作品を指すことが多く、全て同じ構図で描かれています。そして今回初来日するひまわりは、アルル時代に描いた4作目の「ひまわり」です。
全7作品がこちら。
左から1作目(個人蔵)、2作目(日本にて焼失)、3作目(ミュンヘン)
左から4作目(ロンドン)、5作目(東京)、6作目(フィラデルフィア)
7作目(アムステルダム)
どれも甲乙つけがたい魅力があります。
同じ構図の「ひまわり」を7作も制作した理由は、同じ構図の絵を描くことによる効果や見栄えを比較する為です。
ゴッホは、当時の新色クロムイエローという絵具の使い勝手を試し、色彩がもつ力の研究に取り組みました。のちの作品にはクロムイエローが多用されており、ゴッホのお気に入りの絵具となります。
色彩表現の研究過程において、印象派・新印象派の技法を学び、その特徴をひまわりに取り入れています。印象派の技法とは、簡単に言うと色を出来るだけ混ぜないで絵の具をキャンバス上に置き並べる技法。
一方、新印象派の技法とは、簡単に言うと細かいタッチで小さな点を書き並べる技法。
新印象派”ジョルジュ・スーラ”の作品がこちら。
印象派 ⇒ 筆触分割(キャンバス上でなるべく色を混ぜずに描く)
新印象派 ⇒ 点描画法(キャンバス上で色を混ぜずに点で描く)
両者、基本的な目的は同じです。
それは、色を重ねないことで彩度を高めて画を明るく見せること。 光学理論や色彩理論に基づいており、見る側の目の中で色が混ざり合って画を明るく見せる「視覚混合」と言われる原理を利用しています。
■多大な影響を与えた日本の浮世絵
数多くの浮世絵をコレクションしており、それらの模写も残っています。浮世絵画家である渓斎英泉(けいさいえいせん)の「雲龍打掛の花魁」の模写は、マス目を使い正確な比率で描写されており、熱心に研究されていたことが伺えます。
このような研究の成果として、ゴッホの「ひまわり」には、鮮やかな色彩、太い輪郭、影を描かないという浮世絵の要素が随所にみられるのです。
結論、ゴッホは色彩表現の研究題材として11作もの「ひまわり」を制作しました。絵の具の使い勝手を試したり、先人に学び、様々な技法を取り入れながら試行錯誤を繰り返しました。
それぞれの作品に秘められた、ゴッホの挑戦に思いを馳せながら鑑賞するひまわりたちは、また一味違うのではないでしょうか。
名画研究会
「ひまわり」は、ゴッホの純粋な希望の欠片 ~ロンドンナショナルギャラリー展~
■初来日するロンドンの「ひまわり」
ロンドンナショナルギャラリー展でゴッホの「ひまわり」が初来日します。
「花」をモチーフにした絵画の中ではもっとも有名な作品です。ただ、この作品を見てこんな風に思ったことがあります。
ゴッホの「ひまわり」、何がそんなにすごいの?
その答えはこの絵のストーリーや背景にあります。それらを4つの記事に分けて詳しく説明します。
ゴッホは、今から167年前(2020年現在)の1853年に生まれた、オランダのポスト印象派を代表する画家です。ちなみにポスト印象派とは、印象派の全盛期以降に登場した画家をまとめて指した言葉なので、定義自体は曖昧なようです。
そのポスト印象派の画家の中でももっとも知名度の高いゴッホ。画家を目指すまでにも色々な苦難があり、決して恵まれた人生とは言えませんでした。特に晩年は精神に病を抱え、かなり苦しみました。 ある時には自分の耳を切り落とし、その耳を丁寧に梱包して当時入れ込んでいた女性にプレゼントしています。
精神病に侵されたゴッホは最終的に銃で自殺を図ります。しかし即死には至らず、数日間苦しんだのち37歳で亡くなりました。 この自殺には他殺説など様々な説が存在しており、真相はいまだに分かっていません。
■芸術家同士の共同生活を夢見てアルルへ
今回来日するロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の「ひまわり」ですが、晩年の35歳の時に描かれています。亡くなるわずか2年前ということもあり、さぞ精神的に参っていた時期の作品かと思いきや、 この時期のゴッホは夢見る少年のように純粋な希望に満ち溢れていたのです。
ゴッホは35歳で南フランスのアルルに引っ越しましたが、引っ越す前は芸術の都パリで住んでいました。芸術家との出会いも多くそれなりに刺激的な毎日でしたが、酒に溺れるなどなかなか退廃的な生活を送っていました。
その生活に疲弊しきったゴッホは南仏のアルルへ引っ越すことを決めます。この時、ゴッホはこの地で芸術家同士の共同生活を夢見ます。 夢の実現のためにゴッホはたくさんの画家に声をかけました。しかし、そう簡単には集まらないものです。
ゴッホは怒りっぽく扱いの難しい人柄だったようで、そのあたりも影響し芸術家集めに苦戦します。 ところがそのアイデアに唯一賛同した画家がいました。それがゴーガンです。たった一人でも賛同者がいてくれてゴッホは嬉しかっただろうなと私は想像しましたが、実際にめちゃくちゃ嬉しかったようです。まるで少年のようです。
ゴーガンはゴッホがパリで出会ったフランス人の画家です。ゴッホが見たものを描くのに対し、ゴーガンは想像だけで描く画家でした。 ゴーガンの代表作である「いつ結婚するの?」は2015年には日本円で300億円以上の値が付いたことでも話題になりました。
ただゴーガンもゴッホ同様、死後に高く評価された画家です。 タヒチに移住し貧困の中で健康を損ないながら描いた、唯一無二のエキゾチックな作品は世界中で愛されています。ゴーガンについてはまた別の機会に書きたいと思います。
■ゴーガンがアルルにやって来る!
話を戻します。パリで出会った二人の芸術家が、アルルで共同生活を送ることが無事決まりました。
当時、ゴーガンはゴッホに負けず劣らず貧乏でお金に困っており、ゴッホの弟で彼のパトロン(スポンサー)でもあったテオからの経済的な援助がアルルに引っ越した目的であったという話もあります。 それでも動機は何にせよ、ゴッホのテンションはまさに最高潮です。
「ゴーガンがアルルにやってくる!」
「芸術家同士の共同生活が始まる!」
「いい絵だねって褒められたい!」
「ひまわりを描いてゴーガンの部屋に飾りたい!」
アルルで「ひまわり」を描きながらゴーガンを待つゴッホ。それまでの人生、辛いことも多く物事が思い通りには進みませんでした。しかしこの時は違います。ゴッホの短い人生の中でもごくわずかな時間しかない、未来への希望に満ち溢れていた時期でした。
そんな未来への希望に満ち溢れた心情が、「ひまわり」には強烈に投影されているのです。「ひまわり」はゴッホの純粋な希望の欠片なのです。
次の記事ではこの傑作「ひまわり」を、「色彩表現を追求した時期の研究題材」という技術的なテーマで掘り下げていきます。
名画研究会
名画研究はじめます
はじめまして。
突然ですが、
日本の展覧会の観客動員数は世界トップレベルだということをご存じですか。
世界展覧会観客動員数ランキングでは常に上位に位置し、
この結果だけを見ると、日本人は美術に関心が高いんだなぁと感心します。
しかし、世界の美術館別の年間来場数ランキングでは、
国立新美術館の20位(2019年)が国内の美術館では最上位。
あれ?展覧会の動員数では上位なのにどうして?と思いますよね。
つまり日本人の多くは、「フェルメール展」や「ムンク展」など、
期間限定の展覧会にはイベント感覚で足を運びますが、
普段から美術館に行くという人は決して多くないことが分かります。
(かく言う僕自身もそうでしたが・・・・)
主催のほとんどが新聞社やテレビ局などのメディアということもあり、
様々な媒体を通じて広告・宣伝を大きく打ち出す日本の展覧会は、
爆発的な集客を生み出します。
こうなると「有名みたいだからとりあえず観にいこう」という人も多い。
それはそれで決して悪いことではないのですが、
知識をもち、名画の価値や楽しみ方を知っている日本人は
果たしてどれほどいるのだろう・・と疑問に思うことがあります。
僕は、もともと
「自分なりの感性で好きな絵を見つけ、楽しむことが大事」
という考え方でした。
しかし、のちに
絵の歴史背景や隠されたストーリーを知ると感動が倍増することを知りました。
だからこのブログでは、
誰でも知っている作品から、ちょっとマニアックな作品まで、
「なぜこの絵は名画と呼ばれるのか」を追求していきたいと思います。
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