「ひまわり」は、ゴッホの純粋な希望の欠片 ~ロンドンナショナルギャラリー展~
■初来日するロンドンの「ひまわり」
ロンドンナショナルギャラリー展でゴッホの「ひまわり」が初来日します。
「花」をモチーフにした絵画の中ではもっとも有名な作品です。ただ、この作品を見てこんな風に思ったことがあります。
ゴッホの「ひまわり」、何がそんなにすごいの?
その答えはこの絵のストーリーや背景にあります。それらを4つの記事に分けて詳しく説明します。
ゴッホは、今から167年前(2020年現在)の1853年に生まれた、オランダのポスト印象派を代表する画家です。ちなみにポスト印象派とは、印象派の全盛期以降に登場した画家をまとめて指した言葉なので、定義自体は曖昧なようです。
そのポスト印象派の画家の中でももっとも知名度の高いゴッホ。画家を目指すまでにも色々な苦難があり、決して恵まれた人生とは言えませんでした。特に晩年は精神に病を抱え、かなり苦しみました。 ある時には自分の耳を切り落とし、その耳を丁寧に梱包して当時入れ込んでいた女性にプレゼントしています。
精神病に侵されたゴッホは最終的に銃で自殺を図ります。しかし即死には至らず、数日間苦しんだのち37歳で亡くなりました。 この自殺には他殺説など様々な説が存在しており、真相はいまだに分かっていません。
■芸術家同士の共同生活を夢見てアルルへ
今回来日するロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の「ひまわり」ですが、晩年の35歳の時に描かれています。亡くなるわずか2年前ということもあり、さぞ精神的に参っていた時期の作品かと思いきや、 この時期のゴッホは夢見る少年のように純粋な希望に満ち溢れていたのです。
ゴッホは35歳で南フランスのアルルに引っ越しましたが、引っ越す前は芸術の都パリで住んでいました。芸術家との出会いも多くそれなりに刺激的な毎日でしたが、酒に溺れるなどなかなか退廃的な生活を送っていました。
その生活に疲弊しきったゴッホは南仏のアルルへ引っ越すことを決めます。この時、ゴッホはこの地で芸術家同士の共同生活を夢見ます。 夢の実現のためにゴッホはたくさんの画家に声をかけました。しかし、そう簡単には集まらないものです。
ゴッホは怒りっぽく扱いの難しい人柄だったようで、そのあたりも影響し芸術家集めに苦戦します。 ところがそのアイデアに唯一賛同した画家がいました。それがゴーガンです。たった一人でも賛同者がいてくれてゴッホは嬉しかっただろうなと私は想像しましたが、実際にめちゃくちゃ嬉しかったようです。まるで少年のようです。
ゴーガンはゴッホがパリで出会ったフランス人の画家です。ゴッホが見たものを描くのに対し、ゴーガンは想像だけで描く画家でした。 ゴーガンの代表作である「いつ結婚するの?」は2015年には日本円で300億円以上の値が付いたことでも話題になりました。
ただゴーガンもゴッホ同様、死後に高く評価された画家です。 タヒチに移住し貧困の中で健康を損ないながら描いた、唯一無二のエキゾチックな作品は世界中で愛されています。ゴーガンについてはまた別の機会に書きたいと思います。
■ゴーガンがアルルにやって来る!
話を戻します。パリで出会った二人の芸術家が、アルルで共同生活を送ることが無事決まりました。
当時、ゴーガンはゴッホに負けず劣らず貧乏でお金に困っており、ゴッホの弟で彼のパトロン(スポンサー)でもあったテオからの経済的な援助がアルルに引っ越した目的であったという話もあります。 それでも動機は何にせよ、ゴッホのテンションはまさに最高潮です。
「ゴーガンがアルルにやってくる!」
「芸術家同士の共同生活が始まる!」
「いい絵だねって褒められたい!」
「ひまわりを描いてゴーガンの部屋に飾りたい!」
アルルで「ひまわり」を描きながらゴーガンを待つゴッホ。それまでの人生、辛いことも多く物事が思い通りには進みませんでした。しかしこの時は違います。ゴッホの短い人生の中でもごくわずかな時間しかない、未来への希望に満ち溢れていた時期でした。
そんな未来への希望に満ち溢れた心情が、「ひまわり」には強烈に投影されているのです。「ひまわり」はゴッホの純粋な希望の欠片なのです。
次の記事ではこの傑作「ひまわり」を、「色彩表現を追求した時期の研究題材」という技術的なテーマで掘り下げていきます。
名画研究会